新米コンサル桑原です。何を書こうか少し悩んで、初心に戻って「サリドマイド薬禍」を振り返ってみました。
医薬品の安全性や信頼性保証の重要性を伝える際、私たちはよく「サリドマイド薬禍」を引き合いに出します。筆者自身も、信頼性保証の世界に足を踏み入れた時に、導入教育で本件を聞きながら、気の引き締まる思いがしたものです。本件は、薬事規制が世界的に強化されるきっかけとなった歴史的な出来事であり、今なお品質保証の根幹を考えるうえで欠かせない教訓です。
サリドマイド薬禍の発端
1957年、旧西ドイツのGrünenthal社が開発した睡眠薬「Thalidomide(サリドマイド)」は、英国を皮切りに世界46カ国で販売されました。副作用が少ないとされ、特に妊娠中の「つわり」対策として広く使用されました。しかし、強い催奇形性(四肢欠損など)があることが徐々に判明してきます。1961年、オーストラリアの医師William McBrideがこの関連性を指摘し、医学誌『Lancet』に報告したことで世界的に注目されました(参考リンク)。
ケルシー博士の判断
当時、アメリカではMerrell社がThalidomideの承認申請をFDAに提出。その審査を担当したのが、フランシス・ケルシー博士です。彼女は催奇形性の懸念から追加試験を要求し、承認を保留。その間に欧州では薬の回収が始まり、結果的にアメリカでは大規模な被害を免れることとなりました。彼女の功績はFDA公式サイトでも紹介されています(FDA記事)。
規制の遅れが生んだ“見えない被害”
サリドマイド薬禍は1965年頃に終わったと考えられがちですが、スペインでは1985年まで被害が報告されています。当時のスペインは、独裁政権下で規制整備が遅れていたことが背景にあり、制度の遅れが人命に直結することを示す象徴的な事例です(BBC記事)。
さらに驚くべきことに、最年少の四肢欠損被害者は1998年にブラジルで誕生しています。サリドマイドがハンセン病の症状緩和に有効とされ、ブラジルで製造販売が再開されましたが、催奇形性の危険性が十分に伝わらず、1998年までに120人以上の新たな被害児が生まれたと報告されています(BBC記事)。
信頼性保証は“文化”である
このような事例は、医薬品の安全性に関する報告が制度として整備されていない、あるいは制度が効果的でない国・地域では、今もなお、常識となっている薬害が再発され得ることを示しています。市販後のモニタリング制度や副作用報告義務が不十分な国、地域もまだ存在し、信頼性保証はグローバルな課題なのです。
私たちは、品質保証や信頼性保証を単なるルールではなく、命を守る文化:カルチャーとして捉える必要があります。制度、教育、現場の意識——そのすべてが揃って初めて、薬害を防ぐ力になります。
品質文化の伴走者として
私たちは、大学やベンチャーを含む様々な組織に対し、“使える品質システム”の構築支援を行っています。QMSの段階的導入、SOP作成と各種テンプレート化、そして教育による品質文化の醸成——それぞれの現場に合った形で、品質を高めるチームづくりをお手伝いします。
非臨床コンサルタント 桑原美喜子